2010年05月08日
“理想の大学”の原型になった「一図」
時事問題を図解する。自分なりの意見を加え、図を進化させ、実際に提案する。
『“理想の大学”を創る』というミッションの原型になった一図。
西日本新聞2006年7月26日朝刊社説「淘汰の荒波が押し寄せた
私大定員割れ」を元に図解した図解にさらに自分の意見を加えた
図を描いた。
その後も計5回、延べ100名以上の参加者と共に、この問題を
ディスカッション。
この時点で、「『働きながら・退職後も』行きたい・行ける学校を!!」
というコンセプトを打ち出していた。
自分自身、福岡大学経済学部での4年間は、日本経済新聞社の
育英奨学生(いわゆる新聞奨学生)として過ごしたが、同期入学の
5人中、2人が大学をやめるか仕事を辞め、2人が留年。
結局、4年で卒業し、第1志望の職に就いたのは自分一人。
ただし、仕事(新聞配達)で知り合ったライバルは、同じ状況でも
成績優秀で学業特待生(学部600人中3人)になっていた。
意識が高い人間は、どのような状況下でも結果を出してくる。
自分の境遇を嘆く前に、ベストを尽くすこと。
今、一番後輩たちに伝えたいこと・・・
『“理想の大学”を創る』というミッションの原型になった一図。
西日本新聞2006年7月26日朝刊社説「淘汰の荒波が押し寄せた
私大定員割れ」を元に図解した図解にさらに自分の意見を加えた
図を描いた。
その後も計5回、延べ100名以上の参加者と共に、この問題を
ディスカッション。
この時点で、「『働きながら・退職後も』行きたい・行ける学校を!!」
というコンセプトを打ち出していた。
自分自身、福岡大学経済学部での4年間は、日本経済新聞社の
育英奨学生(いわゆる新聞奨学生)として過ごしたが、同期入学の
5人中、2人が大学をやめるか仕事を辞め、2人が留年。
結局、4年で卒業し、第1志望の職に就いたのは自分一人。
ただし、仕事(新聞配達)で知り合ったライバルは、同じ状況でも
成績優秀で学業特待生(学部600人中3人)になっていた。
意識が高い人間は、どのような状況下でも結果を出してくる。
自分の境遇を嘆く前に、ベストを尽くすこと。
今、一番後輩たちに伝えたいこと・・・
Posted by つねさん@zukai at 04:29│Comments(0)
│30分で図解
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